はくてぃのゲーム語り

FE中心にゲームをつらつら語ります

FF7(原作)久々クリア感想

さて、先日FINAL FANTASY Ⅶの原作(Switch移植版)を12年振りにクリアしました。

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おさらいのつもりでプレイしたので始めは記事にするつもりもなかったのですが、色々と新たな発見があったので感想を書こうと思います。

ちなみにswitch移植版は公式チート機能が備わっており、エンカウントなし、3倍速、HPMPリミット常時MAXといった機能がズラリ。本来はこういった機能は使わない主義なのですが、シナリオのおさらい目的なのでフル活用致しました。

今回の記事では本作における以下の2つの魅力について語ろうと思います。

 

人々の「愚かさ」と「皮肉」を描いた作品

 本作は主人公クラウドが反神羅組織「アバランチ」に雇われ、魔晄エネルギーを吸い取り星の命を縮める神羅カンパニーと戦う所から始まります。作中ではほぼ一貫して「神羅=悪役」のイメージで描かれていましたが、ではそれと対峙するアバランチは正義のヒーローなのか?

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そんな事はありません。どんな理由があっても彼らのやっている事は無関係な人々を大勢巻き込んだテロです。現代社会に置き換えても、例えば原発反対派が爆破テロなんて起こしたら単なるやばい奴らですからね・・・。

ただ、勿論神羅も悪い。無計画な魔晄の吸出しのみならず、反抗する人々を武力で押さえつけ、事実上の独裁政治を行っている訳ですからね。

上記の通り、敵味方含めて人々の身勝手さや愚かさを描いたのがこの作品の醍醐味でしょう。そしてこれが顕著に表れるのがメテオ襲来後。

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クラウド一行と神羅による盛大な足の引っ張り合いを始めるのです。これまでの確執を一度忘れて協力し合わねばならない局面であるにも関わらず、です。実際、敵対している神羅の力がなければ2体のウェポン撃破も大空洞のバリア破壊もなりませんでした。クラウド達だけの力ではとても星は救えない。

もちろん神羅神羅。魔晄キャノンのエネルギーによってミッドガルが吹き飛ぶかも知れない時に、よりにもよってそれを妨害するスカーレットとハイデッカー。そんな事をすれば自分達の身も危ないと言う事を彼らは理解していたのでしょうか?しかも理由は完全に私怨。

ですが、これこそが人間の本質なのかも知れません。

昨今のコロナ騒動を見ればお分かりになるでしょう。未曾有の危機に際して足の引っ張り合い、責任の押し付け合いをしている光景が日本で、いや世界各地で見られます。

 

 

「自我」の脆いキャラクター達と、その魅力

本作をプレイする最中、今年の大河ドラマ麒麟がくる」に関する、とある面白いレビューを思い出しました。

bushoojapan.com

 なぜ全く関係ない時代劇のレビューの話が出てくるのか?内容を簡単に説明しますと

美濃の戦国大名斎藤道三とその息子、高政の親子対立を描いた回のレビュー。父親を嫌う高政はとあるきっかけで、自分の本当の父親は道三ではなく、先代の美濃守護であった土岐頼芸ではないかと疑念を抱くようになります。厳密に言えば、そうではないと分かっていながらもそうであって欲しいと考えるようになります。

高政からすれば、成り上がりの嫌われ者である道三より、源氏の血を引く土岐頼芸が父親である方が都合がいいので、その事を家臣達に言いふらすようになるのです。

ここからが本題で、先ほどのレビューではこの高政の行為を「自我の欠けた人間が自らを虚像で埋める愚行」と評したんですよね。これ、FF7のキャラクター達にも似たような事が当てはまると思ったんですよ。

本作はクラウドをはじめ、メインキャラクターはメンタル的に強いとは言い難い人物達です。クラウドに関しては「ジェノバの能力によって他者の記憶とリンクした」とありましたが、自らの記憶や過去、更には感情を都合のいいように偽ったりすり替えたりするのは人間が本来持つ能力なのです(そういった意味ではジェノバの能力はそれらを増幅するものと言えます)。

 

例えばティファ。

クラウドの記憶探しで発覚する事ですが、クラウドにとって彼女は幼馴染でも何でもありません。給水塔の約束をするまでは近所に住んでいながら会話もした事のない、ただの「知り合い」です。

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幼い頃から少年達に囲まれチヤホヤされてきたティファ。しかし彼女の台詞から、その少年達も村を出て行ったのでしょう。そんな時に突然決意を打ち上げたクラウドを「自分を見ていてくれる人物」だと認識し始める。そしてクラウドの情報を追っかけていく内に、いつの間にか彼女の中で自らを「クラウドの幼馴染であり理解者」であると偽るようになります。これも「虚像で埋める」行為。だからクラウドにどうしても依存してしまうし、精神的な脆さが露呈する。

 

バレットにも似たような事が言えます。

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バレットが神羅と戦う動機は「復讐」です。星の命を守るなんて二の次三の次、聴こえのいい後付けの大義名分に過ぎません。ですが彼の言動を見ていると節々に、思ってもいない「星の為」と言う台詞が出てきます。それが顕著に表れたのがこのケットシーとのやりとり。

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この台詞はコレルプリズンで「復讐がしたかっただけ」と懺悔した後の台詞。バレットの正体は「手段を選ばない復讐者」なのですが、彼は自らを「星を救う英雄」であるといつの間にかすり替えているのです。

 

クラウドだけでなく、ティファもバレットも自分を飾り、すり替えてきた。しかし旅の中で少しずつ「自我」を確立してきた筈です。だからこそセフィロスとの決戦前に、「戦う理由を整理する」と言うクラウドの提案は、メンバー達にとって必要な儀式ではなかったのでしょうか。

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総評

さて、これまでキャラクター達の欠点を指摘してきましたが、これは別にキャラをdisってる訳ではなく、むしろこの欠点こそが彼らの魅力と言えます。

理想的な人物像を描けばそりゃあカッコいいでしょう。ですがそれはどうしても作り物っぽく見えてしまい、リアリティに欠けてしまうもの。

しかし本作のキャラクター達は目に見える身勝手さや欠点も持ち合わせており、だからこそ人間味があります。自分を飾ろうとして付けていた仮面が、いつのまにか本来の自分であると錯覚し、苦しむ姿に覚えのある方は多いのではないでしょうか?

こう言った人間の本質、そして現代を予見したかのような社会問題への風刺と、それと向き合っていく人々。これこそが、このファイナルファンタジー7という作品の奥深さ、魅力なのだと気付かされました。

初プレイの10代の頃にはとてもこのような考え方は出来ませんでした。大人になってから新たな視点でプレイしたからこそ気付いた発見。そんな味わい深い作品であり、だからこそこれだけ長きに渡って愛され続けた作品と言えるのでしょう。

プレイされた事の無い方は勿論、昔にクリアされた方も、久々にプレイしてみませんか?

 

それでは今回はこれにて。